2004年 11月 12日
「募金パーク」の管理人代理って何様さ。 |
休眠状態のブログでしたけど引っ張り出します。
このためだけにブログを作るのも露骨ですので……。まあ似たようなものですが。
募金パークというサイトがあります。新潟中越地震のために個人でクリック募金をしているサイトです。クリック募金という形態に対しては色々とまた別の思いはありますが、それは本題じゃないのでパス。……少なくとも、このサイトが存在することによって多くの人間に地震について関心を持てることは評価すべきだと思います。
今のように地震への関心が高い時よりは、これから徐々に他のニュースに地震情報が埋もれて来てからの方が重要だと思いますけどね。そこでどれだけ啓発できるのか。
さて、問題はこの募金パークを「お手伝いしている」らしい夏侯恵という方のことです。この方、ブログを書いていらっしゃるんですが。
11月9日にこんな記事がありました。「奇跡は決して偶然じゃなく、頑張らない者には起きない」
とき325号フラッシュは(ちょっと恥ずかしいですが^^*)私も泣いてしまいました。評価は分かれると思いますが、私は名作だと思います。
で、これに対するトラックバックがありました。( ゚д゚) …内「あるblogへのツッコミ」
確かにうっかりすると見落としそうなことですが。読んで自分の不明を少し恥じた私でした。……自分自身、阪神大震災の時は兵庫県民だったというのに(西の方でしたが)。
上越新幹線については、何故か「新幹線の安全神話が崩壊」とか否定的なマスコミも多々目にします。しかし、むしろ「あの地震の中で一人も怪我せずに止まれた」ことを評価すべき、と私も当初からずっと思っていました。……震度7だと鉄道は脱線ぐらいして当然なんですよ。その中で、時速210kmから脱線しながらもけが人を出さずに止まれたこと。……確かに、奇跡だと思います。トンネルの中ならダメだったし、対向車がいればアウトだった。アノ状況だといつ横転してもおかしくなかった。幸運だった面は確かにあります。
でも、同時に、それでもお客を守って止まった新幹線の姿。
……そして、例え幸運があったとは言え、その幸運を呼び込むだけの技術力が日本の新幹線にはあったということです。それは誇りにすべきだし、その点で「奇跡は努力のたまもの」という表現は正しいと思います。特に、あの文脈の中ならね。
ついでに言えば、安全神話を問題にするのなら阪神大震災で既に崩壊してますよ。あの地震が日中に起こっていればもっと大惨事だったことは間違いないでしょう。あの時間帯に新幹線が走っていなかったことは、やっぱり幸運だと思います。
……それらの幸運も含めて、一種の安全神話は確かにあるのかもしれませんけどね。
話がそれました。
しかし、昨日付けの夏侯恵さんのブログにはこんな言葉が。
>二日前の記事に、トラックバックされてますけど、放置してます・・・いくらなんでもお馬鹿すぎるんで。
まともな人が見たら、わかるよね?
はぁ?
このトラックバックの指摘は全くもって正当な指摘だとしか思えませんが?
これを「馬鹿」と言いきる貴方の方が馬鹿。
だいたい、この人は本来小説を書いている方の筈なのです。曲がりなりにも言葉を扱っているはずの方が、「お馬鹿すぎる」という暴言。
……物書きとして恥ずかしくないんでしょうか。
言葉というのは多面性があります。……何気ない言葉が人を傷つけるのもまた然り。マラソンランナーに「がんばれっ!」というのはすごく相手を勇気づける行為ですが、頑張っても駄目な人にとっては頑張れの声や拍手は却って追い詰める効果を呼ぶだけなのです。
……今回の件に即して言えば、いくら頑張っても運が味方しなければどうしようもないです。あるいはとっておきのラッキーだけで生き残る人もいる。
論理式にしてみると。
「頑張る」and「運」→「奇跡」なんですよ。残念ながら。
ちなみにこの対偶は「奇跡が起きなかったのは、頑張らなかったのか不運だったのかのどっちかだ」ということになりますね。
これも言葉としてはかなり語弊があるんですが--;
一生懸命に頑張ってもそれだけで叶わないものは世の中いくらでもあるんですよね。悲しいことですが。
あまりにも呆れたので、夏侯恵さんのブログ及び( ゚д゚) …にトラックバックを貼らせてもらいました。……どう思いますか?
端的に言えば、この人はもう少し、自分の発言の公共性を意識した方が良いと思う。特に協力者としてやっている以上、それが募金パーク管理人の方を貶めていることを意識しなくては。それが分かってないのかな……。
恥を知れ、って感じですか。自戒も込めて。
2004.11.14追記。
トラックバックを頂いたこちら豊島区池袋雑食課さんに逆トラックバック。
私の駄文より遥かに纏まっていて納得がいきます。
このためだけにブログを作るのも露骨ですので……。まあ似たようなものですが。
募金パークというサイトがあります。新潟中越地震のために個人でクリック募金をしているサイトです。クリック募金という形態に対しては色々とまた別の思いはありますが、それは本題じゃないのでパス。……少なくとも、このサイトが存在することによって多くの人間に地震について関心を持てることは評価すべきだと思います。
今のように地震への関心が高い時よりは、これから徐々に他のニュースに地震情報が埋もれて来てからの方が重要だと思いますけどね。そこでどれだけ啓発できるのか。
さて、問題はこの募金パークを「お手伝いしている」らしい夏侯恵という方のことです。この方、ブログを書いていらっしゃるんですが。
11月9日にこんな記事がありました。「奇跡は決して偶然じゃなく、頑張らない者には起きない」
とき325号フラッシュは(ちょっと恥ずかしいですが^^*)私も泣いてしまいました。評価は分かれると思いますが、私は名作だと思います。
で、これに対するトラックバックがありました。( ゚д゚) …内「あるblogへのツッコミ」
確かにうっかりすると見落としそうなことですが。読んで自分の不明を少し恥じた私でした。……自分自身、阪神大震災の時は兵庫県民だったというのに(西の方でしたが)。
上越新幹線については、何故か「新幹線の安全神話が崩壊」とか否定的なマスコミも多々目にします。しかし、むしろ「あの地震の中で一人も怪我せずに止まれた」ことを評価すべき、と私も当初からずっと思っていました。……震度7だと鉄道は脱線ぐらいして当然なんですよ。その中で、時速210kmから脱線しながらもけが人を出さずに止まれたこと。……確かに、奇跡だと思います。トンネルの中ならダメだったし、対向車がいればアウトだった。アノ状況だといつ横転してもおかしくなかった。幸運だった面は確かにあります。
でも、同時に、それでもお客を守って止まった新幹線の姿。
……そして、例え幸運があったとは言え、その幸運を呼び込むだけの技術力が日本の新幹線にはあったということです。それは誇りにすべきだし、その点で「奇跡は努力のたまもの」という表現は正しいと思います。特に、あの文脈の中ならね。
ついでに言えば、安全神話を問題にするのなら阪神大震災で既に崩壊してますよ。あの地震が日中に起こっていればもっと大惨事だったことは間違いないでしょう。あの時間帯に新幹線が走っていなかったことは、やっぱり幸運だと思います。
……それらの幸運も含めて、一種の安全神話は確かにあるのかもしれませんけどね。
話がそれました。
しかし、昨日付けの夏侯恵さんのブログにはこんな言葉が。
>二日前の記事に、トラックバックされてますけど、放置してます・・・いくらなんでもお馬鹿すぎるんで。
まともな人が見たら、わかるよね?
はぁ?
このトラックバックの指摘は全くもって正当な指摘だとしか思えませんが?
これを「馬鹿」と言いきる貴方の方が馬鹿。
だいたい、この人は本来小説を書いている方の筈なのです。曲がりなりにも言葉を扱っているはずの方が、「お馬鹿すぎる」という暴言。
……物書きとして恥ずかしくないんでしょうか。
言葉というのは多面性があります。……何気ない言葉が人を傷つけるのもまた然り。マラソンランナーに「がんばれっ!」というのはすごく相手を勇気づける行為ですが、頑張っても駄目な人にとっては頑張れの声や拍手は却って追い詰める効果を呼ぶだけなのです。
……今回の件に即して言えば、いくら頑張っても運が味方しなければどうしようもないです。あるいはとっておきのラッキーだけで生き残る人もいる。
論理式にしてみると。
「頑張る」and「運」→「奇跡」なんですよ。残念ながら。
ちなみにこの対偶は「奇跡が起きなかったのは、頑張らなかったのか不運だったのかのどっちかだ」ということになりますね。
これも言葉としてはかなり語弊があるんですが--;
一生懸命に頑張ってもそれだけで叶わないものは世の中いくらでもあるんですよね。悲しいことですが。
あまりにも呆れたので、夏侯恵さんのブログ及び( ゚д゚) …にトラックバックを貼らせてもらいました。……どう思いますか?
端的に言えば、この人はもう少し、自分の発言の公共性を意識した方が良いと思う。特に協力者としてやっている以上、それが募金パーク管理人の方を貶めていることを意識しなくては。それが分かってないのかな……。
恥を知れ、って感じですか。自戒も込めて。
2004.11.14追記。
トラックバックを頂いたこちら豊島区池袋雑食課さんに逆トラックバック。
私の駄文より遥かに纏まっていて納得がいきます。
by nanao_miruto
| 2004-11-12 13:48
| 募金パーク関連。